右か左か、それとも後退か、、、~選択の重大性について

世の中のあらゆる物事を決める、選択する場に至ったとき、

人はそれをどう判断し決断するのだろうか?

 

日常的には外出で買い物の場での商品の選択、

これは日用品なら大した影響はないはず、中には洗剤が欲しかったのに間違ってボディソープをうっかり買ってしまったとか、、

このくらいなら又買い足して事足りるし、笑い話的なレベル。

でもこれが高額な商品、たとえば車や住まいなどなら後々大きな影響が出てしまう。

場合によっては家族仲が険悪になる場面も多々あるでしょう。

車なら5~10年、住まいなら賃貸ならまだ切り替えは速いが、持ち家などどなると

その買い物の重大性は長期的なものになる。

もし手早い対応で切り替えられたとしても、心理的な影響、後遺症は簡単には消し去ることはできない。

 

これら現物の物的商品なら、そのように対象の商品の違いや金額の差で影響力が違うだけだし、生活や体験から学習した判断力で大半は以後カバーできる類だと思う。

 

でもこれが、自身の仕事や社会的活動などの選択となると、大いにその選択の重大性は

様変わりする。

確かに住まいの選択などから仕事などにも影響は全くないとは言えないが、

例えば実家から離れた違った環境の町へ移った時、その地方の社会的産業的背景の違いから、仕事の選択やその活動内容まで差が出てしまうケースは多々あるはずだ。

でも住まいや社会環境の変化は慣れるのに時間はかかるが、そこに至るまでどれだけ我慢ができるかという問題に行き着くとも言える。

 

ここで問題なのは、

まず特に学生で就職活動の場面で自分の将来に向き合う場面にいたった時、それに個々はどう向き合うだろうか、、という点。

これは個人の置かれた事情により、その重さの度合いは異なるが、就職というか社会活動に出るということは、その後多大にその個人がその場面で精神的、時間的なエネルギーを注ぐこととなる。

このことなどは人生の一場面としても大きな影響力を持つことになる。

でも今どき再就職も在り来たりなご時世、合わなくなったらまた仕事はネットでも探してまた就職活動するさ、、と多くの学生や若者は思うだろう。

外国、特に欧米なんかは転職は日常茶飯事のことぐらいに軽く見ているなら、はっきりとその解釈は間違っていと断言したい。

メディアがその「日常茶飯事的な転職」を謳っているのは、あくまで特化突出した才能と実行力を持つ一部の青年実業家達を暗に賛美した表現。

実際の圧倒的多数の若者は身につかないうちに次から次へと職を転々としているのが実態。

果たして今の日本社会の実情は正規雇用がままならず、アルバイトを転々とし、いつのまにか30代40代をむかえている社会人がいかに多いことか、、。

このままでは日本社会は個人的には個人資産の蓄積もままならず、社会的産業的にみてもスキルや技術の蓄積や向上は全く見込めず、日本社会全体のパワーが退化劣化するばかりだ!!

かって技術大国と自画自賛しその通り他国もその実力を認めていた日本も、

いつの間にか国レベルでのGDPや産業面での競争力などどんどん後塵を拝すことになってしまった。

 

いま日本に求められるのは現状にもがき必至で他国に追いつくことではなく、

今ある国内の有形無形の様々な社会的資源を最大限生かすことだ!!

だれが見てもかっての高度成長期の再来なんて夢のまた夢、、。

としたら発想の大逆転がどうしても必要で

例えば経済成長は犠牲というか目を瞑るくらいの決心で、

とにかく長期的には万人が公平平等に暮らしていける、外国の人も羨み移住したくなる、魅力的な国創りなど、、。

まるでどこかの社会法人や宗教団体のテーマポスターみたいな方針が理想だ。

やがて凛とした自己保持だけを願う政治家や官僚の人たちはお役御免で、

それらはいまの情報システムにそのほとんどが置き換えられる。

ドイツの連邦制やスイスの社会制度なども参考にして、地方自治が本当に生き生きとしたその連合体のような国家を目指してほしい。

日本は島国だからいずれ「アジアのスイス」つまり東洋の永世中立国を目指すべきだ!

 

国内にクーデターや内戦など全く望む人はいないだろうが、

もしこの今の社会、政治情勢を見過ごせば、他国から見ても全く魅力も感じられない

「木偶の坊国家」と称されるに違いない。