roadpost(道しるべ)の道標
変なタイトルでも笑わないでください。
これはまず自分に対しての道しるべであって、
人に対して何か教えてあげようとか言うつもりではありません。
何も中身がない物からは、何も説得力がないからです。
まず自分でもがき、戸惑い、結果間違っていても、
また元のroadpostまで戻って修正。
そうすりゃ今度は多少でもマシな道が拓ける。
そんな繰り返しが、泥臭さが結果、迫力説得力を生み出す!!
果たして万人向けのするいい情報の道が、本当にいい道なんだろうか?
ひょっとして誰も辿っていない寂莫とした道にも、いいものが転がっているかもしれない、、「急がば回れ」の例えもあるし、、、
逆に、絶対多数の道がひょっとして悲惨な結果に繋がっているかもしれない。これは先の大戦時日本が歩んだ悲劇の歴史が証明している。
昨今の世情について感じるのは、得てして心地よいもの、きれいなもの、
そしてスマート(利口)さを求めすぎていないかどうか、、、。
そういや、スマートフォン、スマートインター、スマートビジネス、、、
スマートニュースなんてのも、、、。
世間には「スマート」という言葉が氾濫しすぎているようだ。
もし何もかもがスマートになるなら、それは本当の人間の有り様では無くなってしまうんじゃないでしょうか?。
ちょっと視点を変えれば、世間で昨今特に寺社で大変律義に規律よく礼拝をしている参拝者が、以前と比べ目立つようになってきたように思われる。それも若者にも目立ってきている。
以前は熱心な信者か右的な人たちかだったけど、今や当たり前の普通の人たち、
それも若者にまで当たり前のようにある方向では、規律なるものが復活てきている。
いい傾向なのになんて失礼な!!と憤慨されるのは目に見えていますが、
特に私roadpostは先の大戦の体験世代から直接いろんな教訓を受けてきたので、
国家社会体制が現在は違っても、几帳面なほどのいろんな規律というものに、
すごい不安感や抵抗を感じてしまいます。
なるほどその傾向の理由の一つに書籍があります。
ここ最近、観光の振興の意味合いもあるんでしょうが、寺社関係の書籍、
単なるいろんなスポットの案内から参拝の仕方までいろいろな情報を盛り込んだ本がたくさんあります。
これらに自然に感化され、参拝の礼儀までこなしてしまうのでしょう。
別に思想的な偏りなどではなく、自然に何の違和感もなく規律を遵守するのでしょう。
でも戦前、結構穏やかな「大正ロマン」とか称されたほど華やかな世相の時もあったのに、観る見る間に昭和の泥沼にはまり込んでいった日本、、。
そうなったのは日本全体が自然に少しず偏った方向に辿ったからです。
「みんなで歩けば怖くない!!。」こんな文句が流行りましたね。
でも道が間違って入れば、結果大変な末路が待っています。
だからこそ、右へ左へ、東へ西へといろんな道が用意されている社会が健全な方向だと思います。
振り返れば20世紀の60年代70年代の日本は、いや世界的にも右翼左翼、入り混じって羽陽曲折があって、騒々しく時には危険な時代でもあったけど、
世間の思想信条は自由闊達で風通しがよかったように思います。
ある意味、世界全体がどっちへ行こうかどうしょうか右往左往していた、今から振り返れば分かりやすい時代だったのでは。
でも現代は一見情報が豊富でも、絶対的に何を信用すべきか常に迷ってしまうような、
迷走社会、、。
確かな道を指し示すべき人たちが、信念をおろそかにし、社会的遭難者を多数生み出しているのが現状化と思います。