ただひたすらに、、前へ前へ、、、異放人roadpostの俳廻

今週のお題「わたしのモチベーションを上げるもの」

roadpostには心身をシャッフルし、結果モチベーションを上げる方法がいくつかあります。

その一つがもう30年以上も続けているジョギング、、。

いやマラソンと言いたいのですが、その内容が恐れ多くて、、。

 

走りたい時に走りたいだけ気のままに、、そして時計もはめず計らず、、

東西南北好きな方向にいや闇雲に気持ちの進むままに、、

おなかが減ればパンも食べるし、レース中に衝動的にレースを中断して、、

コース途中で見つけた茶店で草餅を焼いてムシャムシャ、、、。

(このレースは下から2番目の記録的なものでしたへへへ)

そうこれが僕なりのムシャ修行?です。

 

roadpostの修行は日常と非日常の分別がつかない無遮修行。

心をフルオープンにして何も遮るものがない状態にして、目的も体裁も理屈も

何も心を遮断しない貴重な時間です。

他の精進立派な人が座禅や滝にうたれたりするのと同じ?理屈がここにあります。

「無心」という点で、。

普通人が何かをアクションを起こし、「無心」にそれに取り組む場合、

それは目的のある意識的な無心のはず、、。

 

でもroadpostの無心は本当の無心?!

走りだせばもう会話する相手は空と風、そして目の前の道、、。

おそらく見た目はだれでも普通のジョギングおじさんだけど、

今日はどんなタイムと距離を刻もうか、、とか、

 

どんなコースを選ぼうか、、とか、普通のジョガーは当たり前に考えることも、

roadpostにとってはそんなことどうでもいい話。

全く「何も考えていない」無心です。

周囲には「これは放心状態」と手っ取り早く言っているけれど、

放心、、とはちょっと違っていて、放牧ならぬ、放人と言っていい。

柵から放たれた牧畜が、草むらに散らばる景色、、あれに感覚的には近い!!

ちょっと変わり種に見られることもあるので、

「異放人」と称してみよう!!

 

異放人にもわからない、、というか頭と心が思考休眠状態にジョギング中は陥るので、

徘徊おじさんと客観的には判断できるはずだけど、

だてにジョギングウェア姿なのでお巡りさんもお医者さんも声を掛けてくれない。

でも時間が経ってくると流石の異放人もてきて、お腹も減ってきて、

コンビニへGO!!

お腹をちょっと満たせば、頭が少し復活して、、

でもやっぱり距離やタイムなど普通ジョガーが意識すべき点は何もなし。

時々頭に浮かぶことは、、いややっぱり何もない!!

走りながらふと目に浮かぶことは、いま走っている場面の空や雲、

川や町の景色、、これらを心のキャンバスとして気ままに描いています。

絵具も筆も何も要らない、心のキャンバス。

これにも飽きてくる?とちょっとした短い言葉や物語が浮かんでくる、、。

そういや、過去の著名な文化人や思想家には散策や旅行で貴重な題材を得たケースが多く見られる。

 

いややっぱりroadpostに浮かんでくるのは目の前の美味しそうな

シュークリームみたいな雲とソーダ水みたいな青空、、。

目の前にひろがるデッカイ雲と空。