代理満足の危うさ~ストレス解消の正常な在り方
世の中には
様々な事象で現状的に実現不可能な状態を
緩和あるいは打破するためのいろんな手段やサービスが用意されている。
いちばん身近な例で言えば、ゲームやスポーツのジャンルにそれは表される。
まずゲームでは古くからゲームセンターでの体感的など。
ジャンル的に言えばモータースポーツや戦争ものの大型ゲーム機など、、。
世の中高年以前の世代なら大抵は頷けるはず、、いやいや今でもそういったプレイには現役だよ!!という元気な中高年の人たちもたくさんいることでしょう。
でも現在のゲームプレイの中心はいたって個人のファミコンやスマートフォン、
タブレットなど、、。そしてその内容は競技性、対戦性がないゲームも多く多岐に渡っている。世界中に対戦相手を持つセミプロ、プロクラスのゲーマーもいれば、単に気の向いたときだけふらっと楽しむ静かな趣味レベル以下の大半の人たちも、。
でもゲームは単に楽しみの娯楽的な意味合いがほとんどで、「ストレスを解消したいからさあ!!今からゲームを始めよう!」とか言う人はまずいないだろう。
鬱憤、ストレス、精神的疲労、不満等々⇒気分転換、楽しみ、運動、精神的発散、満足感
こういった個人の精神的な健全な流れを進める一つの手段としてゲームの存在があるなら何も問題はないが、ゲームそのものがもたらす心理的精神的な問題があるならその根は深く、見過ごすことはできない。この点については後程に、、。
でもこのテーマで僕が特に問題としたいのは、ストレスをある手段で活力や意欲の再生のために昇華させられるかどうか、、。
だれでもその日常でふと気持ちを落ち着かせたり、逆に高揚させたいとき、
その方法は時と場所で全く異なっていて、
そして人によってもそれは様々。
それは単に娯楽やスポーツ、飲酒など嗜好の範囲に留まらない。
仕事がうまくはかどらない時、猶更その仕事に埋没、没頭して突破口を見出そうとする猛者も、、、。
つまりストレスの解消の在り方は、こんな場合はこれをしなさい、飲みなさい、、
とかいう薬の服用的マニュアルは通用しないということ。
好きな行動や趣味を続けていることで、自然とストレスは解消できているのが大半の日常といえる。
roadpostの場合これは好きなコーヒーとジョギングでしょうか、、、。
ああ憂鬱だストレスだとか意識せずに勝手に手はコーヒーカップをつかみ、
スニーカーで足は適当に走っている。
ほとんど日常の連続の一コマなので、いつストレスは鬱積し解消できているのか、
自分では全く分析のしようもないのが現実。
つまりストレスとその解消は心のスイッチをいちいち切り替えるようなものではなく、
roadpostなりの思考法は、、、
自分の中にだれでも明と暗、右と左、寒と暖、切り替えのスイッチを持っていて、それが3つもそれ以上のチャンネルを持っているメンタル器用な人もいるということ。
そしてそれぞれのチャンネルの波長はオンオフの関連ではなく、
それぞれの波長は内面で躍動していて、知らず知らずに自分がそのときどきに合ったチャンネルを選んでいるのでは、、、。
こういう思考法ならその時々で優劣はなく、どれだけその選んでいるチャンネルが有効に働いているかどうかに掛かっている。
だから自分をコントロールできる人はこのチャンネルの選択が自然でかつ鋭い人。
だから逆に泥沼にはまり込むような人は、このメンタル的切り替えが不器用で
下手をすれば性格破壊に陥ってしまう。
例えば野球観戦で贔屓のチームが上手くいかず、飲み友達とけんかを始めたり、
仕事の挫折で、ついつい深酒酩酊、下手をすればアルコール依存症にも。
こんな場面は過去に誰にでもあるだろうけれど、これが連続することで、
精神的肉体的に問題が発生する。
これがもし先に書いたゲーム機の問題なら、そのゲームの内容と質にもよるが、
そのゲームのまぼろしの世界を実現しようとする妄想に襲われることがある。
下手をすれば、他者を巻き込んだ深刻な事件に発展する危険性もある。
過去に国家レベルでの鬱積した社会を打破しようと、そこから民族主義を利用し、
だれにでも共通する暗部を攻撃の対象と捉え、自らを正義としてやまない世界。
ユダヤや少数民族を攻撃の対象とそのスローガンを流し続けることで、
国民の意識を自然に麻痺させナチスはその政権のいいような方向に向けていった。
これは近代以降の最大の国家的代理満足といえる。
これが日本では皇室を祀り上げるこ
とで、天皇を神格化し、国民共通の幻影を抱かせた当時の軍部と産業、産軍複合体の危うい展開と悲惨な結末。
roadpostが掲げたチャンネルが国民レベルで一致した時の危うさ、、。
過去のどんな歴史でもこのチャンネルの選び方とその推移をとらえれば、
その原因の分析は分かりやすくなるはず。
全人類の安穏、世界平和はどんなチャンネルのもとに進めることができるのだろう。